それがたとえ夢だとしても

これ以上好きにならないなんて 言わないよ絶対

空白の2年間

やっと今整理がついたような気がして、整理しなきゃいけない気がして書いてみる。あの空白の2年間のこと。嵐さんへの思いがぽっかりと空いたあの期間のこと。
 
正直最初は逃げだったんだと思う。受験生だった2014年は嵐の15周年イヤーで、ハワイでコンサートを行った。日本でコンサートをやっても会えないのにどうして海外なんか行くの。どうして遠くに行っちゃうの…たしかに嵐が生まれた場所はハワイかもしれないけど…という風に悩んで拗らせて毒を吐いた。受験に対するもやもやがさらにそれを加速させてた。それでも結果的にはパブリックビューイングでハワイの生中継を見ることができて、本当に本当に楽しかった。泣いた。VS嵐でも嵐にしやがれでもまさかのNHKでも特集してくれて、幸せってこういうことなのかって思った。
 
…思ってた。
 
きっとここからだったと思う。受験が近づくにつれレギュラー番組を追えなくなる、追う気力がなくなる。常に聴いている彼らの音楽に飽きて他のグループの曲をローリング式に手を出し始めて、また戻るの繰り返し。確かJUMPのThrough the nightに出会ったのもこの頃かな。どんどん、どんどん。好きな気持ちは、会いたい気持ちは加速しているはずなのに。加速しなきゃいけないのに、彼らを励みに頑張らなきゃいけないのに。本人じゃない、勝手に自分の頭の中で作り上げた彼らに酔って好きだと思って頑張ってた。完全なる空回りだった。そんな器用じゃないのは分かっていたけど、改めてあの時点で嵐に割く時間の割合も心の割合も格段に減っていった。
 
そして。脳内で笑っていた彼らはもうそこにはいない。THE DIGITALIANと題した全国ツアーが幕を開け、彼らは止まることなくまた一歩ずつ前に進み続けていた。少しずつ広がる溝。今でもDVDを見て思う、自分の全く知らない彼らがいる。小学生の頃からずっと追ってきたのに、あれ…何だろう、という違和感。
 
正直に言えば、2014年の秋から2016年の1月までの記憶はほとんどない。
 
いや、ないと言ったら嘘になる。ツイートを見れば各場面で彼らについて語っていたし好きだと言っていた。断片的にだけれど大好きな彼らはずっとそこにいて、側にいてくれて、ずーっとずっと縋っていた。友人と一緒に勉強して、その息抜きは彼らの話。覚えられない英語の熟語は主語を彼らに変えて覚えてた。話すことはすべて彼ら、息抜きも彼ら。当たり前のように彼らは自分の側にいて、助けてくれていた。感謝してもしきれないほど癒しをくれた。そんな余裕もなかったけれど、フラゲして家で部屋の中を真っ暗にしながら聴いたTHE DIGITALIAN涙が出るほどかっこよかった。ひとりで唇を噛み締めながら泣いた。泣いた。あまりにもTRAPが好きすぎて、授業中しんどくなったときにPVを妄想した。メリークリスマスが好きで好きで、これまたPV案を作った。狂ったように、まごまご嵐で弾き語りした二宮さんの歌声を聴いていたのは覚えてる。泣きながら、にのみやさんの優しい声が好き、あぁやっぱり安心するって思いながら聴いてた。でもねほら、やっぱりここにも今を生きている彼らは頭にいなかった。

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そうこうしているうちに年は明ける。2015年になり、受験をし、大学生になった。18年間共に過ごしてきた両親から離れ一人暮らしを始めた。新しい学問に手をつけ始めた。新たな人間関係ができた。
 
そこで一度気づいた。何かが違う。そう、違和感としか言い表す事のできないこの変な感じ。それを掻き消すように2014年の頭から好きになっていたNEWSを追い始めた。Twitterのプロフから二宮和也の文字が消えることはなかったけれど、この時点ですでに彼の姿は霧の中だった。何やってるんだろう彼。あぁ、そういえば去年末に映画やるって報道してたなぁ。頑張ってるのかな、そんな具合に。でもね、ちゃっかり映画のパンフレットをもらってたりしてたんだよ。弱虫だね、怖くて仕方なくて目を伏せておきながらも気になって仕方なかったなんて。
 
そこで友人がHey! Say! JUMPを好きになる。そこから先は色々なところで話しているように、字のごとく坂を転がり落ちるように彼らに惚れていった。その途中でいろいろ話したね、嵐について。本当にあの頃は不安だった。それだけ弱くて、びびが入ってしまったら最後粉々に崩れ落ちてしまうんじゃないかと不安だった。嵐のことが大好きだというアイデンティティが消失してしまうんじゃないかって。それがなくなったら自分には何もないって本気で思ってた、今でも思ってる。そのくらいの思いを抱えてた。
 


ずるずると年末まで来る。じゃぽのコンサートに応募したけれど外れて、それはそれは部屋でひとりで泣いた。でも何のために、誰のために泣いているのか正直わからなかった。わたしは本当に会いたかったの?本当は自分の知らない彼らを突きつけられるような気がしてたから安心してるんじゃないの?って。本当は当たらなくてよかったって思ってるんじゃないかって。何度も何度も行きたかったと日が近づくたびに思ったから嘘ではなかったんだろうけど。
 
 
 
二宮さんの主演映画「母と暮らせば」が公開した。その頃は狙ったかのように学校の課題に忙殺され、時間を作ろうとすればできたかもしれないけどしなかった。これこそ怖かったんだろうな、彼の演技を見るのが。赤めだかもそう。怖くて仕方なくて、途中から見たくらい。本当に素晴らしかったけど。ただこのときに裏側密着の事前番組を見てほろりと泣いてしまったことは覚えてる。あれは何の涙だったんだろう。事前番組には「(落語は)難しいよ」というニュアンスの言葉をいいつつ真剣な眼差しで台本を見つめる、練習する彼がいたような気がする。それを見せないような人というイメージがあったからだろうな。きっとそう。
 
そして来る年末。JUMPのカウントダウンコンサートに行って、これほどまでに幸せで楽しいコンサートがあるのかと本気で思った。そして同時に最後に行った嵐のLOVEコンサートを思い出した。あの時も同じことを思った。あの東京ドームにいた数時間、温もりと優しさが溢れていたと。柔らかくて明るくて、温もりがあって幸せだけを感じられた空間。夜の遊園地のメリーゴーランドを見てるようだとも思った。できることなら一生この世界にいたい。そう思ったのはLOVEが初めてだったんじゃないのかな。今年のツアーもすごかったんだろうなぁ、と思いつつもワイドショーを適当に何本か録り少クラのWorksを一度見たくらいだった。
 
ツイートを振り返ってみれば、音楽番組で彼らが出てきたときには二宮さんに沸いてるし、かっこいいかわいいって言っていた。だけど、前とは何かが違ったんだよね。「Sakura」は受験の日に発売だった。Mステのさくら舞い散る中で踊る彼らが美しくて、頑張ろうって思った。「愛を叫べ」の記憶は全くと言っていいほどなくて。この曲は歌詞も遠くに行ってしまった気がして寂しかったのは覚えてるかな。
 
ひとつ救いと(言っていいのか分からないけれど)言えば、映画『暗殺教室』を彼が出ているから、という理由で観に行ったことだと思う。その数ヶ月後に主演の彼のことをこんなにも大好きになるなんて思ってもいなかったけれど。エンドロールで名前があった時は感動したし、本当に嬉しかった。鉄コン筋クリートのクロ以来の声のお仕事だったからね。どんな批判があろうと、彼はそれを覚悟でこの仕事を受けたんだ、そして主演の邪魔をしないようにって絶対思ってるんだろうな、その結果が舞台あいさつでの登場だもん…そんなことを考えていた。
 
悔しいし悲しいしやるせないけれど、これが私の2015年だった。
 
そして、運命のあの日が来た。
 
ここでも書いた通り、変わったのは自分だった。彼が変わっていたんじゃない。いや、成長はしていて先に進んでいるのはわかってるけれど、気持ちが何か変化していたのはもしくはフィルターがかかっていたのは自分の方だった。それと同時に「俺らは何も変わらないよ。変わったのは周りだよ」というような言葉を思い出した。嵐の誰の言葉だっけ。その通りだった。
 
変わったのはそこから。もやもと立ち込めていた霧が晴れたように、肩の荷が下りたように身体が軽くなった気がした。やっぱり私は二宮和也という人が好きで、嵐が大好きで、ずっと応援していきたいんだと。出演する番組を狂ったように片っ端から録画することも、通常版まで購入することも、雑誌を片っ端から購入することも控えるようになったけれど。これでいいんだ、これが自分の応援の仕方なんだと自分で受け入れて。
 
デビューから応援しているわけじゃない私が色々と言うのはおこがましいし図々しいとは思う。だから、一ファンの戯言だと思って聞き流していただけたら幸いです。ただ、書き残しておきたかったから。
 
 
嵐さん、二宮さん(そういえば、いつからニノって呼ばなくなったんだろうなぁ)。これからも応援させてください。幸せを、喜びを分けてくれてありがとうございます。本当に、本当に大好きです。