それがたとえ夢だとしても

これ以上好きにならないなんて 言わないよ絶対

遠回りの愛を

「ヒミツのニノミヤちゃん!くらいになっちゃっていますからね!」

 

何なんだこの人。嵐の番組名を自分の名前に変えるなんて図々しいにもほどがある。…私が一番鮮明に覚えている彼への印象がこれだ。忘れもしない。2008年の夏に発売された、TBS系ドラマ『魔王』中で着ているスーツに身を包んだ大野さんが表紙のテレビナビ。当時小学5年生だった私が人生で初めて(と言っても母とともにだったけれど)購入したテレビ誌で見た、大野さんのインタビュー。そして、24時間テレビの特集で嵐へのインタビュー、当時放送していたバラエティ番組「ヒミツのアラシちゃん!」の連載。何でかな。私が好きになる人って結局最初は嫌いだった人みたいです。捻くれてるでしょ?でもあの人もひねくれてるから何も言えないね。

 

そんなわけで、本日誕生日の彼のお話をします。あなたを好きになったのはいつからなんだろう。正直明確な時期もきっかけもわからない。2008年の『魔王』の6話を見て大野さんに惚れ、嵐のtruthに酔いしれ、24時間TVのパーソナリティーを務めた彼らを幼いながら見守った。そのすぐあとに発売されたポポロで載っていた24時間テレビの記事で二宮さんの耳かけの写真が載っていてとっても好きだったことは覚えてる。2008年夏のそれこそ大野さんが魔王をやってる時期の日テレ系深夜番組「嵐の宿題くん」での二宮さんの、今から比べたら全く温もりが感じられないような冷たい氷のようなツッコミが好きだったことも覚えてる。…でも、母親が大野担だったからか「私も大野さんが一番好き」と言い張っていて。そこから何年かしたらいつのまにか二宮担を名乗るほどまでになっていました。

 

彼のどこが好きなのか。どこが好きだから応援しているのか。そう聞かれて彼ほど答えるのが難しい人はいないと思います。確かに魅力的で好きなところは数え切れないほどあるけれど、だからと言って決め手となる一言は見つからない。言い方が悪くて誰かを不快にしてしまうようなことがあったら本当に申し訳ないんですが…自分自身でも何でこの人が好きなのかよく分かっていません。だからこそにのみやさんを嫌いになることも担当じゃなくなることもこの先きっとないんじゃないのかなって思います。あの人ならそんなの分からないし別に僕は構わないよ?とか言いそうだけれど。来るもの拒まず去るもの追わず。これも自分の中にいる作られた二宮和也像なのかもしれないけど、そういうところも好きなのかもしれないなぁ。

 

今はそんなことないかもしれないけれど。今ほど温もりがなくて厳しくてきつい言い方でメンバーの会話に切り込んでいく二宮さんがとっても好きでした。彼が若かったってこともあったんだろうけど、バラエティを面白くするために自己犠牲を払ってそういうことをしているんじゃないか…そんな余計なことまで考えていた。ナルシストキャラみたいなものを推していたときもそう。でも、そんな二宮さんを好きになったのは、なれたのはきっとあの4人がそれを温かく、そして面白く受け止めてくれたからだと改めて思うんです。だってそうじゃなきゃただの冷たい人になってしまうから。

 

最近になってやっと気づいたことがあって、この機会にしか言えないかもしれないから記しておきます。10歳以上も年が離れている私が言うのも本当に申し訳ない限りなんですけれど、二宮さんもお話そんなに上手じゃなかったんだね。昔のコンサートの映像を見て、最後のあいさつを見て。あなたの挨拶ってとっても長いし回りくどいし小難しいこと言ってて、でもその理解しにくい言葉とか(言い方悪いけれど褒めているから許してください)捻くれた言葉が好きだった。きっとまだ自分が子供だから完全に理解できないんだろう、もっと大人になったら分かる日が来るのかもしれないなって。でもね、きっとそんなことなかったんだと思います。今の挨拶を聞くととっても分かりやすい。遠回りをするのがあなたの癖だから仕方ないけれどそれでもちゃんと道筋から外れていなくて心にストンと落ちる。二宮さんほど昔とスタンスが変わっていない人はいないと思っていたけれど、あなたもこうやって成長していたんだ。そもそも元からできる人ではなかったんだ。完全に自己完結ではあるけれどそんなことを思って、あぁ…やっぱり好きだと実感した。

 

去年は大きな穴がぽっかりと開いてしまったように気持ちがあなたに向わない時期があったけど、こうやって言葉を並べられるくらい気持ちが戻ってきてよかったな、と思う。

 

メンバーのことが大好きな二宮さんが好き。どんな場に呼ばれても、どれだけ名誉ある賞をもらっても嵐のことを口に出し自分はアイドルグループ・嵐の二宮和也だということをこれでもかというほど主張する。メンバーを見るときの優しい、目の奥まで笑っているその表情。一筋縄ではいかないけれど、美しくて時に儚く脆く、そして様々な表情を見せてくれる歌詞を綴る。ギターをかき鳴らしピアノを弾き作曲までやってのける。優しくて温かくて でもそのまま消えてしまいそうな歌声。よく通る、美しい高い歌声。時に男らしく、妖艶な雰囲気を醸し出す歌声。引き算の演技。頭の回転のよさ。天性の人たらし、人を笑顔にする礼儀知らずさ。ファン想いなところ、ファン目線で見てくれるところ。ちょっと変わった考え方、世界観。

 

愛情表現が下手なところも大好きだし愛しいと思う。でも、それを嵐をよく知る人にしか伝わらないのは、伝わっていないのは仕方ないことだと分かっていながらもやっぱり悔しい、やるせないと思う自分がいる。後輩と絡んだとき、先輩と共演させていただいたとき。みんなに受け入れてもらえる人なんていないし当たり前のことではあるんだけれど、ただの図々しい奴だとか遠慮を知らない奴だとか冷たい人だって思われている部分は少なくともあるんだろうなぁって思うと胸が苦しくなる。あぁこれもよけいなお世話って言われそうだね。二宮さんって口が上手いから、きっと愛情表現も上手いんだろうと思われていると思う。でもやっぱり捻くれているから…冷たくすることでしか、いじりすぎることでしか表現できないんだよね。人によってそのアクション起こす種類は変わるんだろうけれど。だから、いつも。あなたの想いが、素直に伝えることのできない思いが届きますようにとおこがましいながらも願っています。

 

そして、「一歩引いて見る」というのが基本スタンスなあなたが好きです。

 

演技派の戦士だ 演じた17歳の数々見てみな

Yeah! Ah! 浮かんだ メロディーにしたんだ

鋭い視点の観察眼 ちょっと引いて見る like俯瞰

何でもこなす つまり器用

こいつがギターかきならす ニノ

(La tormenta 2004)

 

僕にとっての嵐はこの4人だから、なんて言えてしまう。ひとり憎まれ役を引き受ける。並べ始めたらきりがないけれど、そうやって周りを俯瞰的に見ることができるあなたがすごいなぁといつも思います。周りの環境がそれを受け入れてくれるからできることなのかもしれないけれど、輪の中から抜け外に顔を出さないとこれはできない。周りの状況を把握し冷静に見ることができるところ、尊敬しています。

 

ベイストでのあのテキトー発言とか、意味が分からないくらい急に大声で叫ぶ芸を身に着けちゃってるところとか、割とすぐ調子に乗りがちな節があるところとか、冷たいところとか、素直になれないところとか、ゲームやりすぎなところとか。もう!と苦言を言ってみたくなるところもたくさんあるけれど、きっとそれも嫌々言いつつ好きなのかも。好きなのか呆れているのかどっちだろうね(笑)

 

3年前の6月17日。あなたに向けて綴った文章が出てきたから読んでみたのだけれど。何にも、ほとんど何にも変わってなかった。だから、しつこいようだけれど同じ言葉をここにも記します。

少しひねくれた性格も、考えれば考えるほど分からなくなる信条も、少し変わっている人との接し方も、注意できてしまうような度胸も。そのままでいてください。私たちが見ている「二宮和也」がたとえ偽りだったとしても、あなたが偽り続けたいと思うのならそれでいいから。彼らは味方だから。あなたには嵐の輪の中で笑っていてほしい。この未来だけは望ませてください。メンバーはもちろん、ファンの人たちを笑顔にしてくれてありがとう。物怖じせず色々なことを言ってくれてありがとう。あなたを応援できること、本当に幸せだな…って思います。そっと後ろから支えられるような、誇り高いファンに私も成長していきたいと思います。本当に、いつもありがとう。

 

前述したように2015年…本当のことを言うならば2014年の秋以降から記憶がすっぽりと抜け落ちたような状態でいたのを掬い上げてくれたのは、やはり日本アカデミー賞の受賞…正確に言えば授賞式での言葉だったんだろうなぁと思います。何も変わらない彼と成長した彼がいて。無性に愛おしくなって、嬉しくて、号泣したなぁ。こんなにも二宮さんのこと好きだったんだねって笑ってしまうくらい。

 

改めて言わせてください。あなたのファンでいて世界一幸せですなんて胸を張って簡単に言えるほど盲目でも単純でも優しくもないけれど、にのみやさんを応援してきて後悔なんかしてないしこれからするつもりもありません。きっと幸せです、ひねくれてるから言えないだけで。あなたを応援できていることが、あなたのファンとして笑っていられる日々に感謝しています。すべて、すべてあなたがいてくれたから。あなたに出会えたから、今の自分がいる。あなたのファンじゃない自分なんて一切想像できない。自分から二宮さんを好きだってことを抜き去ったらほとんど何も残らないんじゃないのかなぁとさえ時々ふと思います。感謝してもしきれません。本当に、本当にありがとう。大好きです。どうか、変わらないで。一筋縄ではいかないあなたが大好きです

 

どうかお体には気をつけて。

大好きです。ありがとう。

あなたにとって幸せな1年になりますように。

 

 2016.06.17

空白の2年間

やっと今整理がついたような気がして、整理しなきゃいけない気がして書いてみる。あの空白の2年間のこと。嵐さんへの思いがぽっかりと空いたあの期間のこと。
 
正直最初は逃げだったんだと思う。受験生だった2014年は嵐の15周年イヤーで、ハワイでコンサートを行った。日本でコンサートをやっても会えないのにどうして海外なんか行くの。どうして遠くに行っちゃうの…たしかに嵐が生まれた場所はハワイかもしれないけど…という風に悩んで拗らせて毒を吐いた。受験に対するもやもやがさらにそれを加速させてた。それでも結果的にはパブリックビューイングでハワイの生中継を見ることができて、本当に本当に楽しかった。泣いた。VS嵐でも嵐にしやがれでもまさかのNHKでも特集してくれて、幸せってこういうことなのかって思った。
 
…思ってた。
 
きっとここからだったと思う。受験が近づくにつれレギュラー番組を追えなくなる、追う気力がなくなる。常に聴いている彼らの音楽に飽きて他のグループの曲をローリング式に手を出し始めて、また戻るの繰り返し。確かJUMPのThrough the nightに出会ったのもこの頃かな。どんどん、どんどん。好きな気持ちは、会いたい気持ちは加速しているはずなのに。加速しなきゃいけないのに、彼らを励みに頑張らなきゃいけないのに。本人じゃない、勝手に自分の頭の中で作り上げた彼らに酔って好きだと思って頑張ってた。完全なる空回りだった。そんな器用じゃないのは分かっていたけど、改めてあの時点で嵐に割く時間の割合も心の割合も格段に減っていった。
 
そして。脳内で笑っていた彼らはもうそこにはいない。THE DIGITALIANと題した全国ツアーが幕を開け、彼らは止まることなくまた一歩ずつ前に進み続けていた。少しずつ広がる溝。今でもDVDを見て思う、自分の全く知らない彼らがいる。小学生の頃からずっと追ってきたのに、あれ…何だろう、という違和感。
 
正直に言えば、2014年の秋から2016年の1月までの記憶はほとんどない。
 
いや、ないと言ったら嘘になる。ツイートを見れば各場面で彼らについて語っていたし好きだと言っていた。断片的にだけれど大好きな彼らはずっとそこにいて、側にいてくれて、ずーっとずっと縋っていた。友人と一緒に勉強して、その息抜きは彼らの話。覚えられない英語の熟語は主語を彼らに変えて覚えてた。話すことはすべて彼ら、息抜きも彼ら。当たり前のように彼らは自分の側にいて、助けてくれていた。感謝してもしきれないほど癒しをくれた。そんな余裕もなかったけれど、フラゲして家で部屋の中を真っ暗にしながら聴いたTHE DIGITALIAN涙が出るほどかっこよかった。ひとりで唇を噛み締めながら泣いた。泣いた。あまりにもTRAPが好きすぎて、授業中しんどくなったときにPVを妄想した。メリークリスマスが好きで好きで、これまたPV案を作った。狂ったように、まごまご嵐で弾き語りした二宮さんの歌声を聴いていたのは覚えてる。泣きながら、にのみやさんの優しい声が好き、あぁやっぱり安心するって思いながら聴いてた。でもねほら、やっぱりここにも今を生きている彼らは頭にいなかった。

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そうこうしているうちに年は明ける。2015年になり、受験をし、大学生になった。18年間共に過ごしてきた両親から離れ一人暮らしを始めた。新しい学問に手をつけ始めた。新たな人間関係ができた。
 
そこで一度気づいた。何かが違う。そう、違和感としか言い表す事のできないこの変な感じ。それを掻き消すように2014年の頭から好きになっていたNEWSを追い始めた。Twitterのプロフから二宮和也の文字が消えることはなかったけれど、この時点ですでに彼の姿は霧の中だった。何やってるんだろう彼。あぁ、そういえば去年末に映画やるって報道してたなぁ。頑張ってるのかな、そんな具合に。でもね、ちゃっかり映画のパンフレットをもらってたりしてたんだよ。弱虫だね、怖くて仕方なくて目を伏せておきながらも気になって仕方なかったなんて。
 
そこで友人がHey! Say! JUMPを好きになる。そこから先は色々なところで話しているように、字のごとく坂を転がり落ちるように彼らに惚れていった。その途中でいろいろ話したね、嵐について。本当にあの頃は不安だった。それだけ弱くて、びびが入ってしまったら最後粉々に崩れ落ちてしまうんじゃないかと不安だった。嵐のことが大好きだというアイデンティティが消失してしまうんじゃないかって。それがなくなったら自分には何もないって本気で思ってた、今でも思ってる。そのくらいの思いを抱えてた。
 


ずるずると年末まで来る。じゃぽのコンサートに応募したけれど外れて、それはそれは部屋でひとりで泣いた。でも何のために、誰のために泣いているのか正直わからなかった。わたしは本当に会いたかったの?本当は自分の知らない彼らを突きつけられるような気がしてたから安心してるんじゃないの?って。本当は当たらなくてよかったって思ってるんじゃないかって。何度も何度も行きたかったと日が近づくたびに思ったから嘘ではなかったんだろうけど。
 
 
 
二宮さんの主演映画「母と暮らせば」が公開した。その頃は狙ったかのように学校の課題に忙殺され、時間を作ろうとすればできたかもしれないけどしなかった。これこそ怖かったんだろうな、彼の演技を見るのが。赤めだかもそう。怖くて仕方なくて、途中から見たくらい。本当に素晴らしかったけど。ただこのときに裏側密着の事前番組を見てほろりと泣いてしまったことは覚えてる。あれは何の涙だったんだろう。事前番組には「(落語は)難しいよ」というニュアンスの言葉をいいつつ真剣な眼差しで台本を見つめる、練習する彼がいたような気がする。それを見せないような人というイメージがあったからだろうな。きっとそう。
 
そして来る年末。JUMPのカウントダウンコンサートに行って、これほどまでに幸せで楽しいコンサートがあるのかと本気で思った。そして同時に最後に行った嵐のLOVEコンサートを思い出した。あの時も同じことを思った。あの東京ドームにいた数時間、温もりと優しさが溢れていたと。柔らかくて明るくて、温もりがあって幸せだけを感じられた空間。夜の遊園地のメリーゴーランドを見てるようだとも思った。できることなら一生この世界にいたい。そう思ったのはLOVEが初めてだったんじゃないのかな。今年のツアーもすごかったんだろうなぁ、と思いつつもワイドショーを適当に何本か録り少クラのWorksを一度見たくらいだった。
 
ツイートを振り返ってみれば、音楽番組で彼らが出てきたときには二宮さんに沸いてるし、かっこいいかわいいって言っていた。だけど、前とは何かが違ったんだよね。「Sakura」は受験の日に発売だった。Mステのさくら舞い散る中で踊る彼らが美しくて、頑張ろうって思った。「愛を叫べ」の記憶は全くと言っていいほどなくて。この曲は歌詞も遠くに行ってしまった気がして寂しかったのは覚えてるかな。
 
ひとつ救いと(言っていいのか分からないけれど)言えば、映画『暗殺教室』を彼が出ているから、という理由で観に行ったことだと思う。その数ヶ月後に主演の彼のことをこんなにも大好きになるなんて思ってもいなかったけれど。エンドロールで名前があった時は感動したし、本当に嬉しかった。鉄コン筋クリートのクロ以来の声のお仕事だったからね。どんな批判があろうと、彼はそれを覚悟でこの仕事を受けたんだ、そして主演の邪魔をしないようにって絶対思ってるんだろうな、その結果が舞台あいさつでの登場だもん…そんなことを考えていた。
 
悔しいし悲しいしやるせないけれど、これが私の2015年だった。
 
そして、運命のあの日が来た。
 
ここでも書いた通り、変わったのは自分だった。彼が変わっていたんじゃない。いや、成長はしていて先に進んでいるのはわかってるけれど、気持ちが何か変化していたのはもしくはフィルターがかかっていたのは自分の方だった。それと同時に「俺らは何も変わらないよ。変わったのは周りだよ」というような言葉を思い出した。嵐の誰の言葉だっけ。その通りだった。
 
変わったのはそこから。もやもと立ち込めていた霧が晴れたように、肩の荷が下りたように身体が軽くなった気がした。やっぱり私は二宮和也という人が好きで、嵐が大好きで、ずっと応援していきたいんだと。出演する番組を狂ったように片っ端から録画することも、通常版まで購入することも、雑誌を片っ端から購入することも控えるようになったけれど。これでいいんだ、これが自分の応援の仕方なんだと自分で受け入れて。
 
デビューから応援しているわけじゃない私が色々と言うのはおこがましいし図々しいとは思う。だから、一ファンの戯言だと思って聞き流していただけたら幸いです。ただ、書き残しておきたかったから。
 
 
嵐さん、二宮さん(そういえば、いつからニノって呼ばなくなったんだろうなぁ)。これからも応援させてください。幸せを、喜びを分けてくれてありがとうございます。本当に、本当に大好きです。

随時更新予定の部屋

 

Q.やまださんに演じてほしい役柄は?

① 



 

赤茶色のエプロン付けたやまださんがただただ見たい(笑)個人的に赤茶色のエプロンというものに思い入れがあるからそこは譲れない。店主(お調子者っぽいけど何かとカギになることを言う切れ者)にこき使われる彼も、店主と女刑事の会話にぬるっと入っていく彼も見たーい!!(大声)

 

「マスターおつかい行ってきたよー」「んじゃ皿洗い」「え、…え?俺いま帰ってきたんだけど?」「んじゃ給料カットする」「…ったくもうマスター俺の扱いひどくない?」「可愛がってるって言うんだよこれは(ドヤ顔)」

 

「でも○○ちゃんはそいつが犯人だとは思ってないんだろ?」「そーなんですよね…でも状況的に」「お待たせしました、ストロベリーパンケーキです~」「あれ山田くん私ワッフルって言ったんだけど…」「え?!ほんと?」「まーたお前は(笑)」「あーもうごめんなさい作り直してきます!」「いやいやいいよ、糖分欲しかったから頼んだんだし美味しそうだから」「すみません…」(実は捜査のヒントになる)

物語が終盤に向かうにつれて何となく身近にいる人が犯人っぽい(というか裏で手を引いてるみたい)ってことがわかるけどまさか彼だとは思わない。(マスターは薄々気づいてる)

 

「ねぇ、あの…聞きたいことがあるんだけど」「ん?どうしました?」「やまだくんって○日もこの時間ここにいた?」「なんでそんなこと聞くんですか?(にこにこ)」「あの日現場で見た黒パーカーの後ろ姿に背格好が似ててね。…どう?(検討外れだと思ってる)」「…あーあ、ばれちゃったか。」「…え?」「ってか気づくの遅すぎだし。マスターはたぶん気づいてるよ?俺がこういう奴だって」

 

自分が疑われた瞬間敬語が崩れて化けの皮がはがれてほしい。黒髪だと思ってた髪は実は金髪で、にこにこ笑顔がかわいい好青年は実はブラックだったっていう。その他の設定は想像にお任せします。がっつり一課でもいいけど実は怪盗とかでも楽しいよなぁ~!(コナン大好き人間だから好みが偏ってる)

 

 

 ②

 グラスホッパーのプロモーションで出たZIP!での究極クエスチョンで「一生善人しか演じられない」「一生悪人しか演じられない」という質問に「悪人」のほうを選んでいたからやってほしいなぁ。完全なる悪役かって言ったらそうも言えないんだけど。

 

 


コナン!コナン!コナン!(歓喜

ちねちゃんだったり有岡さんはよくコナンの名前を口に出してくれるから、コナンクラスタとしては嬉しい限りです。JUMPでコナンの配役を決めるとしたら身長とかいろんなことを考える怪盗キッドは薮くんだなぁって。あの白い衣装絶対似合う!ウインクなんか華麗に決めるだろうし、絶対にかっこいい。新一は裕翔かな、でも爽やかすぎる?いやぁでもあの制服が似合う高身長はJUMPの中では彼しかいないだろうなぁ。で、コナンは山田さん…と言いたいけどでも灰原が見たい(灰原大好き人間)。『紺碧のジョリーロジャー』という映画で「いつから私はあなたの助手になったんだか」って灰原が言うんだけどコナンが「助手じゃなくて…相棒かな?」って言うの…それを再現してほしい(泣)園子はゆうやがいいなぁ。蘭はどうしよう。

 

 ④



とある捜査チームの一番年下の役。眼鏡かけててほしい。(当人は機械音痴だけど)理想ならパソコンかたかたして(タブレットでもいい)いろいろ解析する担当。インドア派のおしゃれなイマドキ男の子!(言いたいだけ)言い方がいちいち厳しくてとげがあるけど頭が切れる。口数は少ないけれど捜査結果を報告するときは饒舌で抑揚なく話す。だけど年上のみんなは(あまり表には出さないけど)かわいくて仕方ないから何かといじったりちょっかいだしたりする(当の本人はうざがってるけど実はちょっと嬉しかったりもする)欠点つくるとしたら人間嫌いとかね。

 

科学捜査を行うところでもいいしイレギュラーな事件を扱うところでもいい、さすがに公安はブラックで重すぎるからうーんとも思うけど…ラッキーセブン的な構成員がいいな。基本的に本部で待機組。たまーに外に出て一緒に捜査する、するけど不愛想すぎて聞き込みには不向き(だけど顔があの通り綺麗なので連れて行く価値は十二分にあり)。普段捜査で全く動かないから動けないのかと思いきや現場で犯人と遭遇したときに無駄のない動きで蹴りを入れて同僚の女の子(大学も同じで腐れ縁とか最高じゃない?)か上司(ラッキーセブンで言うなら瞳子さん的な)を華麗に守っちゃう。いざという時にしか動かない、使わない。 実は双子の兄が幹部もしくは敵にいるとかそういうサブ設定あったらわたし好きすぎて倒れる、全世界に感謝しながら息絶えると思う(これは完全に趣味です)

 

(思いつき次第更新します)(一個人の妄想の産物ですので各所とは全く関係ありませんご了承ください)

 

 

手を伸ばしても届かない

手を伸ばしても届かないあなたへ

 

 

 

オタクごととは少し関係ない話をします。ジャニーズとは全く関係ないアーティストさんのこと。大好きな彼女…ZARD坂井泉水さんのことを。まだ20年も生きていないわたしが言うのは浅はかだと思うかもしれない。それを承知であえて言います。きっと彼女以上に好きになる、恋い焦がれる女性歌手の方はこの先誰もいないんだろうなと。

 

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彼女は今年で歌手デビュー25周年を迎えています。でもこの記念すべき年に、お祝いすべきたくさんのイベントに彼女の姿はありません。どうあがいても、そんなに泣いても願ってもそれは叶うことはありません。悲しいし悔しいし、どうしてなんだろうって何度も拗らせた。でも、TDCでコンサートが開かれたり。毎年フィルムコンサートが行われたり 献花台が設置されたり TVで特集が組まれたりする。それだけ多くの人の心を掴み、支え続け 生き続けている人なんだなぁと改めて実感させられると少し救われたような気持にもなって。昨年のフィルムコンサートで会場に入るのを今か今かと待つファンの方たちを見た時もそう。年代的にそうだからなのは分かっているけれど、会社を抜けてきたようなスーツを着たおじさんたちがいたのには驚いた。それも半分くらいを占めている。それなのに、子ども連れたお母さんがいて、わたしと同年代の子がいて。小さい子がいて。幅広い年代に愛されるってこんなことなんだね。会場に入っただけで涙が溢れてきそうでした。

 

物心ついた時から知っていた彼女の歌をしっかりと認識したのは、テレビで放送していた『劇場版名探偵コナン 迷宮の十字路』を見て一瞬にしてコナンにはまったとき…おそらく2004年。それから今年で12年もの年月が経ってしまいました。そして、幼すぎた私がCDショップに貼られた彼女の訃報を告げるPOPを見てもいまいち状況が呑み込めなかった時から数年。長かったような、早いようなこの時間。どんなときにも彼女の歌がそばにいました。わたしが重い愛の曲が好きなのも、哀しさが漂う曲調が好きなのも、少なからずあなたの影響をうけているんだろうな、なんて思ったりもします。

 

あなたの笑顔が、優しい声がどんなときでも心の支えです。

すべてを受け入れてくれるその温もりと、背中を押してくれる明るさが大好きです。

 

彼女=「負けないで」と結び付けられている今が、個人的には悔しくて仕方ありません。「負けないで」があることで、歌われることで彼女が多くの人々の心に生き続けるのはとても嬉しいことだけれど…もっとその先を知ってほしい。聴いてほしい。そんなわがままな気持ちがいつも渦巻いて仕方ない。だから、この場を借りて何曲か紹介させてください。(本当はもっと語れるけど引かれそうなので短文でやめておきます)

 

①愛は暗闇の中で

一時期アニメ名探偵コナンのOPだったこともある、思い入れのある曲。デビュー曲「Good-bye My Loneliness」のカップリングだけれど、ぜひ「グロリアスマインド」のカップリングとして収録されている再編集版を聴いてほしい。こんなかっこいい曲も歌える彼女のことを知ってほしい!ちなみに2コーラス目のサビ前の歌詞は書き直していて、惜しくも再収録が叶わず上木彩矢さんという方が歌っています。 

 

②Forever you

もっと大人になったときに聴いたらきっと思うことも感じることも変わるんだろうな、と思いながらも。支えてくれる人がいるから頑張れる、そんなことを実感させてくれる一曲。

 

③止まっていた時計が今動き出した

 「此処には 過去も未来もない 今しかない」「まわり道も意味のある修行(おしえ)と気付くときが来る」という歌詞が沁みる。恋愛の曲だけれど、この歌詞はそれだけに留まらないんじゃないかなと思いながらいつも聴いています。

 

④もう少し、あと少し…

描写がとても好き、そして画が浮かぶ。Aメロがとても好きです。

 

⑤眠り

坂井さんが作詞・作曲のどちらも担当した楽曲。落ち込んだとき、寂しいときに聴くとどうしようもなく涙が出てくる。そっと掬い上げてくれるような優しい曲。

 

 

皮肉なことに、あなたのおかげで好きな人を応援できる日々の幸せを実感しています。どこか遠い場所で、彼らは自分と同じ時間を過ごしている。今を生きている。確かに近くに行きたいし会えたらそれ以上幸せなことなどないけれど…。言葉だけ見れば引くぐらい重いのは承知しています。でもね、本当に生きてくれさえいればいいとも思えるんだよ。時間が過ぎていかないことほど悔しくて悲しくて切ないことはないから。身をもって感じているから。

 

私たちの中であなたの歌声は、言葉たちは生き続けています。

そこから見守っていただけたら幸いです。

天国から微笑んでいてくれると信じて。

 

坂井泉水さん、

いつもありがとうございます。大好きです。

 

 

2016.05.27

 

 

両手いっぱいの愛を

 

彼の誕生日に向けて何か書こう。できれば彼自身について書きたい。そんなことを思っておきながら全く手が進まず約半年が経ってしまいました。やっと手が動きだしたので、書き進めたいと思っています。私自身の目線で山田さんについてぐだぐだ話している拙い文章ですが、温かい目で見ていただけたら幸いです。

 

私が山田さんを好きになったのは、おそらく左目探偵EYEを見たときだと思います、たぶん。というのも、左目探偵EYEを観返して雷に打たれたような衝撃を受け Hey! Say! JUMPというグループに所属する山田涼介を自担として応援していこうと決心したのが最近だから。あそこまで鮮明に覚えていてかつ思い入れがあるドラマは数えても2.3本くらいしか思い浮かばないから、好きになった今都合よく考えると きっとあの時に惚れていたんだろうなぁと推測することしかできなくて。でも、悲しいくらいに覚えてる。当時私は「ザ・アイドル」な山田涼介がとてつもなく苦手でした。苦手で嫌いなつもりでした。(そんなことを言いつつ、スクラップ・ティーチャーも古畑中学生左目探偵EYEも、理想の息子と金田一の一部もリアタイで観ていたから矛盾しすぎなんですけど)

 

ファンの前で甘い言葉を言う。かっこつける(で、実際にかっこよく決まる)。大きなことを言ってのける。センターでずっと踊っている。こんなに完璧にアイドルをこなす人がどこにいるのかと、敬遠してた。お話も上手でダンスもキレッキレでキラキラしてる。どこかひとつにひびが入ったら壊れてしまうんじゃないかと怖かった。小学校時代からの仲の良い友人が山田担で色々なお話を聞いていたから、近くて遠い存在だった。

 

でもきっと、勝手に想像して恐れていたそんな危うさと儚さにも惹かれたのかなぁと今では思います。本人は違うと言うかもしれないけど、脆くて儚い雰囲気を醸し出し孤高であるとも言える彼に、惚れてしまったのだと。嫌いは好きの裏返し。いわゆるセンターじゃない人を好きになる傾向があったから絶対に好きにならないと思っていたんだけど、気がついたらこうなっていました。

 

昨年で言うならば、いたジャンレギュラー直前回にランニングマシンで世界記録に挑戦したときの、鬼気迫る表情で指で上を指しながら走っているのを観て鳥肌が立った。どこからそんな力が出てくるのか、この状況でどうして火をつけることができるのか…。信じられなかった。あの真剣な瞳、グループのスピードを一気に加速させる勢いと力。真剣に死に物狂いで戦う彼がかっこよくて。こんな必死な表情を見せるんだ、かっこつけるとかそんなものじゃない とにかく目の前にある見えない壁に向かって泥まみれになりながら走る…そんなことができるんだ、と。そんな姿を見たことがなかったからある意味衝撃的だった。こんな風に今まで見たことがない、それもイメージではないところを見てどんどん好きになったのかなと思います。

 

甘い台詞も言えてあんなに愛がこもった素敵な歌詞も書けちゃうのに、メンバーやスタッフに暴言も吐いちゃう(愛があるゆえね!)(控えめにしてほしいところではあるけど)。かっこつけるのにたまにどこか抜けててスターって言われるとちょっと弱くて。お笑い要素を求められたらちゃんとやる。同情さえもされないような孤独も背負ってると思う。どんな場面でも負けず嫌いで泥臭くても構わず立ち向かって、自分にできることを惜しまず物事に真摯に向き合う。俯瞰的に見てる。歌声が美しくて歌が上手くてダンスにキレがあって。様々な役で色んな表情を見せてくれて。「死ぬまで役者を続けたい」と言っていて。ちょっとお調子者で、愛が重いくせに愛情表現がちょっと下手でツンデレで伝わりにくくて。笑顔が優しくて。食べ物を本当に美味しそうに食べる。メンバーのことを大切に思っている、絶対エース。

 

想いをすべて言葉にすることはできないけれど、たくさんの魅力をもった山田さんが大好きです。

 

改めて考えて。やっぱり私は様々なドラマや映画に出演して演技をしているHey! Say! JUMPの山田涼介が好きです。歌って踊れるキラキラアイドル。それが土台であって彼の帰る場所であるし そうでなければいけないとも思う。でも…いや、だからかな。役を通じて色々な世界を知って自分と戦う山田さんをもっと見てみたい。色んなものを吸収して創り出して、ますます輝きを増してゆく山田さんを見ていきたい。応援していきたい。演技の上手い人なんてこの世にたくさんいるけれど、わたしはあなたの演技が本当に大好きです。世界一なんて言ったら薄っぺらく聞こえそうで、大好きという言葉でしか語れないのが悲しくなるけれど…。産経ニュースのインタビューで「やっと蕾になれた」と語ったあなたの 蕾が色づき ふくらみ ゆっくりと鮮やかに花開くときまで。そして、咲き誇り続けるように。あなたの演技が様々な人に届くように 心に刺さりますようにと願いながら、役者としてのあなたの活躍もずっと応援していきたいと思います。演技のお仕事がたくさん舞い降りてきますように。掴めますように。そしてそれが今よりもいっそうあなたを大きくさせ、様々な方面に還元されますように。

 

本当に山田さんを好きになれてよかった。

あなたが突き進む道を、後ろからそっと見守らせてください。

背中を押せるような、あなたの力に少しでもなれるようなファンでいられるように頑張ります。

 

(こうやって書いていくと、盲目ではないと思いながらもやっぱり自担に盲目なんだなと実感させられます。なんだかなぁと思うのはコンサートでのカラコンくらいで、口が悪いのも大好きだし(ただあまりやりすぎはよくないから程々にしてねやまださん)もういつもバカみたいにお堅い口調で長文の思いを綴ってる重いファンで、面倒くさくてごめんね。山田くんって呼べないファンで、可愛くなくてごめんね。捻くれててごめんね。でも大好きだよ!)

 

昔から応援していたわけではないから時間の経過で思うようになったこととか、それこそ彼の成長とか心境の変化とかは感じることができません。いくら昔のインタビューを読んでも映像を見てもそれは過去のものであって、今の状況でも状態でもない。それは分かっています。こうやって応援できるのは昔から応援してくださっている方のおかげであるし、いくら潜在的に好きだったことが事実であったとしても新規である私を受け入れてくれる同担さんと他担さんのおかげだと。それに感謝しながら、これからどんどん大きくなっていくであろうあなたを応援させてください。たくさん精一杯勉強します。この機会をお借りして。こんな私を受け入れてくれてありがとうございます。これからも一緒に応援させてください。

 

 

山田さん、生まれてきてくれてありがとう。

アイドルとして、俳優として。そして一人の人間として。

あなたの色々な場面での活躍を切に願っています。

お身体には気をつけて、これからもどんどん色んなところへ斬り込んでいってください。

いつでもあなたの味方でいたい。

嫌いなんて言葉で隠さないで、今は胸を張って言える。

大好きだよ~!!

そしていつもありがとう。

幸せな23歳の1年になりますように。笑顔の溢れた1年になりますように。

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美しく儚い孤独な暗殺者

 
美しく 儚い 孤独な暗殺者__蝉。
 
すべてが楽しみだった。伊坂幸太郎原作の『グラスホッパー』が映画化。主演・生田斗真で殺し屋たちを描く。そして「山田涼介 孤高の若きナイフ使いの殺し屋【蝉】を演じる」との報道。もともと斗真の演技が好きだから主演として名が挙げられたときにはもう観に行こうと決めていたけれど、山田さんの名が出たときには本当に嬉しかった。
 
ただただ蝉について語ります。内容はないです。
 
※映画の内容やDVD・Blu-rayの特典映像などについても触れますが ご了承ください…!
 

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背筋がぞくっとするような気味の悪い雰囲気と残酷な現実を突きつけられる鈴木を中心に繰り広げられる物語を楽しみつつも、蝉はまだか、まだ出てこないのかとそわそわしていた時に彼は現れた。

 

「俺はてめぇら殺りにきただけだ」

 

カンカンカンカン…と虫が蛍光灯に群がり落ちる音、そして羽音。気持ち悪くなるような音を鋭い金属音で遮ったのは__蝉。映画館でこの映像が目に入った瞬間、息が止まるように苦しくなった。あぁ、蝉だ。暗殺することでしか生を感じられない孤独な若き暗殺者・蝉がそこにいる。映画館に来る時まで純粋なストーリーと「山田涼介が演じる蝉」が見たいと思っていたのに、「山田涼介」の文字なんて頭から消えてしまっていた。様々な色のペンキで汚されたように見える蛍光黄色のシャツの上から乱雑にレインコートを着て、躊躇なく建物の中に入り階段を上がってゆく。乗り込んだ場所の男たちと比べると明らかに小さな体。無駄のない身のこなし、躊躇なく突き立てるナイフ。初日に観たとき、まるで舞台の上で華麗に踊っているようにさえ見えた。こんなこと言ったら不謹慎なのはわかっているけれど、血を浴びる蝉がこの上なく美しくて 虫のように、はたまた何かに憑りつかれたように狂いつつも冷静な瞳をのぞかせる彼に色々な意味で魅了されてしまって。これが撮影はじめで、映画初出演の初カットなんでしょう?監督がネットニュースやインタビュー・パンフレットで絶賛してくださっていたように、すごいものを見てしまったと思った。

 

蝉は生々しいから怖い。あんなに目は冷え切ってるのに、薄暗い建物の中蛍光灯に照らされた肌は汗がにじんでいる。背筋が凍るような怖さって言うよりは生そのものの怖さを感じる。酔いしれる隙があるというか。生を探し続けて暗殺者として生きている蝉は、本当はとても人間らしい。生に対する認識が曖昧というか、よくわかっていない部分はあったとしても彼自身から「生」は感じられた。それに対して鯨は生を感じない。静かにそこに佇んでいる鯨は暗殺をする際(自らの手は汚さないけれど)情を持っているように思えるし、その結果が幻聴なのだとは思う。でも、すべてが静かで背筋が凍るような冷たさを感じさせるから私自身彼に対してはあまり「生」を意識することはできなかった。だからこそ、タイプも容姿も全く異なる二人がぶつかるあのクライマックスシーンは素晴らしくて…。

 

今さらながら、思いだしたあの言葉。「同世代の役者で蝉役をやりたい人はいっぱいいる」ファンから根強い人気を誇る原作だ、伊坂さんの他作品が映像化されてることもあって読んだ人ならば一度はきっと想像しただろう。実写化したら誰がやるんだろう、どんな風になるんだろうと。まさか山田涼介がこの役をやると思っていた人はほとんどいないんじゃないかと思うけれど。彼を抜擢してくれた監督・スタッフさんには感謝しかありません。

 

DVDとBlu‐rayが発売するにあたって、録画していたWSを観直してみた。斗真が笑顔でちょっぴりふざけた口調で「この映画は涼介にかかってる」と言う(正しく言えばそういう内容のメールを送った)。いくら鈴木・鯨・蝉の3人の物語とは言えども主演は生田斗真。それにも関わらず、WSや雑誌のインタビューでかなり推されているのがわかる。その理由は、オーディオコメンタリーで監督と脚本家さん、そして斗真が蝉のシーンを語るのを聞いたときに分かったような気がした。

青島さん「(蝉が出てくる最初のシーンについて)軽やかに、こういう殺し屋がいるっていう不思議な新鮮さで…山田くんでよかったなって」

監督「最高の映画で最大の発見をしたというか」

青島さん「なんか淋しさみたいなものというかね、山田くんがやってくれて…そういう台詞はひとつもないんだけど」

監督「それだけでなぜ彼はナイフ使いの殺し屋になったのかっていう説明をする必要がないよね」

青島さん「(中略)役をがーっと膨らませてくれたなって思います」

※これらはオーディオコメンタリーで語られたものを文字起こししたもののため微妙に表現や言葉が異なる場合があります

 

監督は彼の演技を見てしみじみと「この撮影のときそっか…ハタチだったのか…」と言い、脚本の青島さんは蝉が血まみれになるシーンについて楽しそうに饒舌に語ったりする。斗真は俺もやりたかった、と言わんばかりに熱を持って語る。担当だから、フィルターがかかっているのはわかる。だけどそれ抜きで考えても…蝉は、蝉を演じた山田涼介という俳優は演技で爪痕を残し、それゆえに制作陣にとても愛されていたような気がした。

 

長々と思ったことを書いてしまいましたが。ただただ銀幕で活躍する俳優・山田涼介に夢中になったこの作品で、日本映画批評家大賞 新人男優賞を受賞されたことが本当に嬉しくてたまらないです。銀幕デビュー作(撮影が先だったからこちらを銀幕デビュー作というのか、それとも公開が先の『暗殺教室』をデビュー作と言うのかは微妙なのですが)のこの作品が山田涼介の名前と共に賞として歴史に刻み込まれる。とにかく嬉しいし、誇りです。初めて蝉を観た時の感動も、賞を受賞したという一報を受けた時の喜びをきっとこの先も思い出すんだろうなと思います。

 

山田さん、受賞おめでとう。

素敵な作品を届けてくれてありがとう。

これからもあなたが活躍することを願っています。

 

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切なる思いの行く先は

暗殺教室~卒業編~』の感想です。

ネタバレ含むので見ていない方はご覧にならないことをおすすめします。

 

 

山田さん。『暗殺教室~卒業編~』の公開、そして大ヒットおめでとうございます。昨年は応援している人の後輩、という見方で鑑賞していたこの作品が、今年は主演を自担として応援する身として鑑賞できていることに驚くとともに幸せな気持ちでいっぱいです。

 

記録として。忘れてしまう前に、新鮮な気持ちをここに記させてください。

 

オープニングで主要メンバーの紹介が終わった後、生徒たちが殺せんせーと面談を進めていくシーン。渚くんは教室でひとりぽつんと座っている。「ねぇ、殺せんせー?」男子にしては高い声。優しすぎる声。弱音を吐きそうな声。渚くんってこんなに甘い声だったっけ?と思うくらい温もりを含んだ…でも、揺るがない声だった。色々な先入観やフィルターがかかっている点はあると思うけれど、開始早々何か秘めたる力を垣間見た気がして少しどきっとした。

殺せんせーが言った「(暗殺者としての才能を)誰のために使うか(が大切)」という言葉の意味を、私は4回鑑賞してやっと気づくこと(というよりは気にすること)ができたような気がします。

 

次に。文化祭の片づけ途中に茅野が殺せんせー襲撃するところを目撃し、布に妨害されてしまってできなかったけれど突入しようとした。怒りに燃える茅野に語りかけ、どうにか彼女を助けようとした。中村莉桜ちゃんに「渚…あれって茅野?」と問いかけられたのに何も発しない。茅野が言い残していった言葉で殺せんせーがクラスの皆から色々言われている時もまったく口を開かない。茅野が殺せんせーを襲ってから触手が抜かれるまで、渚は茅野にしか言葉を発してないし想ってなかった。一途で素直な気持ちがそこにあるのがここだけでも分かる。特に、茅野の触手を抜くのにはどうすればいいか考えを巡らせていた時が忘れられない。

 

「ナイフ、狙撃…どれも茅野を傷つけるものばかりだ。なにか、何かないのか?」その口調、話すスピード、声。こちらまで息が詰まるほど切実な想いが伝わってくる。そこでたどり着いた選択肢…もうなんて言えばいいか分からないけれど、彼女を助けたいという純粋な想いだけであんなに素敵な一連のシーンになるのか…。正直キスシーンは楽しみにしていたし、なるほどこの流れでそうなるのかと納得していた部分もあった。賛否両論はあるだろうけれど、私はこのシーンがとても好きです。

屋根から落ちたあとの「言わせないよ」から紡がれる渚の言葉、茅野しか映していないその瞳、もっと前の屋根にいる茅野の背後から出てきたとき、若干伏せ光を映していないような目。背後から現れた渚くんはもう渚じゃなくて山田涼介だった。きっとそれは渚が内に秘めている色々な強さが表に出たからなのかなぁ。もう一度言わせて。私はこのシーンが大好きです。

 

茅野の回想シーン。ビルの屋上に腰掛ける茅野が美しい。憎しみ以外の感情を忘れたように淡々と研究資料を読み上げ、触手に手を出した彼女が痛々しく儚くて…やっぱり美しい。 殺せんせーを攻撃している時も思った。儚いものが個人的に好きというのも影響してだと思うけれど、幼さあどけなさに狂気が加わるとこんなに怖いものなのか、目が離せなくなるのか…と。触手を武器に宙を舞う茅野が、狂気に満ちた茅野が美しかった。舞香ちゃんだから表現できたことなんだろうなぁ。茅野が舞香ちゃんでよかった。

 

 渚とカルマの乱闘シーン。いきなり来たから驚いたけれど、あのシーンの組み合わせ方は大正解だったんだと思う。漫画を読んでいないからわかりませんが、前作でも羽住監督は原作と同じようなコマ割りを多くやっていたそうだからこういう話の展開の仕方だったのかな。強すぎる風と真っ二つに分かれて並ぶクラスメイトたち。その中からカルマが出てきて、渚が出てくる。カルマは堂々と「殺せんせーの暗殺を続ける」派の前列から圧倒的なカリスマ性を持って出てくるのに対し、渚はクラスメイトが並んだ2列目から女子の間をぬって出てきたのが印象深い。そこからどうしてこんな状況になったのかと過去の回想が始まる。

 

確実に渚が成長していた。渚らしさはありつつも確実になにかが変わっていた。渚くんはずっと何も声を発さない。カルマは運動神経(と言うのが正解なのかどうかわからないけれど)の面だけでなく言葉でも煽って戦っているのに、最後の最後まで息の音だけしか聞こえない。どれだけ受け止められても諦めない…次の一手を探しては出すの繰り返し。あの空間で渚だけ「動」。あんなに風が吹いているのに、カルマが技を繰り出しているのに動いてるのは渚だけのように見えてしまった。でも、あんなにかっこいいのに…かっこよかったのに、話す口調も目も言葉もすべてあの女子っぽい渚くんなんだよね。もう~渚くんせっかくかっこよかったんだからそこも…なんて思わなかったわけではないんだけども(笑)渚とカルマの思いのぶつかり合いっていうのは画的にもストーリー的にもとても素敵でした。

 

この間にある皆が殺せんせーのために薬を作るシーン。全員がビーカーやフラスコ片手に奮闘するところで、渚と茅野の「もうちょっと」「もうちょっとかな~?」っていうハートがつきそうな(というかついてる)会話が見るたびきゅんきゅんしました♡(笑)

 

さて、感想もここまで来ました。こんなこと言ったら怒られてしまうかもしれないし、呆れられてしまうかもしれない。でもそれを承知でいいます。この次に述べる一瞬のシーンが、今回の暗殺教室~卒業編~で一番印象に残っています。前回の暗殺教室で鷹岡との対決シーンの瞳に目を奪われ衝撃を受けた時のように、映画が終わった後一番に思い出したのがこのシーンだった。一番誰かと共有したくてたまらなかった。

 

殺せんせーを守ろうと立ちはだかった茅野が触手によって負傷するあのシーン。どうしても、どうしても…あのときの渚が忘れられない。一瞬と間を置かず出た、悲鳴にも近いような声。あんな声聞いたことない。ただただ感情の赴くままに出た「茅野!」と叫ぶ声。誰よりも先に窓を飛び越え駆け出して立ち尽くす渚が、渚が…。

 

決して声を荒げることのなかった彼が初めて大声で叫んだ。悲鳴だった。一作目でも今作でもいたる場面で守ってきた、どんな手段でもいいから傷つけずに 救いたかった。彼女に対する思いなど一切口に出してはないけれど、そんな思いの結晶のような叫び声。役を演じる山田さんが好きだから。役者として活躍している彼が好きだから。私にしては珍しいくらい出演作品は可能なものはほとんど見てるけれど…そのどれにもない彼がそこいて。たった一瞬のそのシーンのためだけに何度も見たいと思うくらい個人的には衝撃的でした。

 

卒業式が終わって、茅野が職員室に来るシーン。何故あのシーンを入れたのか、彼女は何であんなに嬉しそうに笑ったのか。何回観ても分からなかったんだけれど、今やっと分かりました。回想では出てたけれど、誰も殺せんせーのネクタイが雪村先生からの贈り物だということは知らない。だからカタログに書かれた大きな丸を見てあんなに嬉しそうに「…お姉ちゃん」って微笑んだんだ。とてもすっきりして、切なさもありながら微笑ましいな…と思いました。

 

 あとは、本当にラストシーンのあの俯き加減から視線を上げた時の瞳。あれこそ一作目で衝撃を受けた、渚くんの目でした。あの衝撃と感動と懐かしさがこみあげてきてうるっとしました(とか言いながら初日はだいたい号泣してた)

 

 最後に。

ここでは二宮さん演じる死神については一切綴っていません。言いたいことはたくさんあるけれどそれはまた別の機会に書かせてください。

山田さん。初主演映画の完結、改めておめでとうございます。作品を見るだけでなく、プロモーションでテレビに雑誌に引っ張りだこだったことが、それを一緒に追うことができたことが一ファンとして幸せです。役者・山田涼介として一段と強く逞しく、そして凛々しくなった山田さんの今後の活躍を心待ちにしています。

 

大好きだよ、山田さん。

笑顔を、感動をありがとう。

また近いうちにスクリーンであなたに出会えますように。